高知県民が愛してやまない「土佐文旦」の歴史

こんにちは。朝の星座占いで一喜一憂してしまう新井田です。


高知県を代表とする果実の一つに、「文旦(ぶんたん)」があります。独特の爽やかな芳香とプリっとした食感がたまりませんよね。その生産量は全国第1位であり、ここ宿毛市は土佐市に次ぐ産地となっています(2017年農林水産省統計)。高知県では春先に旬を迎える「土佐文旦」と、秋に旬を迎える「水晶文旦」が栽培されており、その季節が訪れると青果店や日曜市には文旦がズラリと並びます。今回は、今が旬の土佐文旦にスポットライトを当ててみます。


土佐文旦は、昭和初期に高知市内の農事試験場朝倉試験地(現在の農業技術センター果樹試験場)で作られていた苗木を、1943年に土佐市の農家・宮地 文弥(みやじ ふみや)氏が地元の宮ノ内地区に植えたのがはじまり。1946年より宮地 正憲(みやじ せいけん)氏、宮地 和夫(みやじ かずお)氏兄弟が受け継ぎ、栽培の基礎を築いたそうです。宮ノ内地区には、その偉業を讃えた“土佐文旦発祥の地”の碑が建てられています。


次に、宿毛市の土佐文旦栽培の歴史について見ていきます。

宿毛市は温暖な気候に恵まれ、明治のころから夏ミカンなどのカンキツ類の産地でした。すでに土佐市で産地化されていた土佐文旦に興味を抱いていた宇須々木地区の3戸の農家が、1967年の第1次構造改善事業で整備された30aの畑へ苗木を定植したのがこの地域での栽培の起源と言われています。当初は、地元で土佐文旦の将来性が全くわからず、販売についても1戸1戸売り歩くといった状態で、栽培の広がりには時間がかかったそうです。


しかし、1970年ごろからグレープフルーツの輸入自由化が迫るなど、夏ミカンの消費に陰りが見え始めたため、当時の夏ミカン栽培農家が他の果樹へ転換する必要性を検討していたそうですね。そこで、その30aの栽培経験をもとに、宿毛市における土佐文旦の本格的な導入が始まることになるのです。


(参考文献)

『こうち21世紀をひらく くらしと農業≪別冊≫第8号 土佐の文旦-文旦栽培50年-』高知県農業改良普及協会、1995年

スタートアグリカルチャーすくも 宿毛市で農業研修

平成31年に社団法人として立ち上げた農業公社です 自然豊かな高知県の西に位置する宿毛(すくも)市で、 毎日農業に触れながら精一杯頑張っています! 多くの方々に宿毛市を知っていただきたく 日々の活動を掲載していますので、 少しでも気になった方は覗いてみてください🍓

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